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季刊誌「せおと」-fileNo.020-いのち ひとつ

fileNo.020いのち ひとつ

『いのち ひとつ』 川の右岸左岸は今でも迷う。せおと28号(前号)の原稿を仕上げた後、生れ在所の思い出でぜひ書きたいことが浮んできた。

28号に書いた生家は高城川の右岸なのか左岸なのか。広辞苑で確かめると、川の下流に向って右手の岸を右岸というとあった。生家は左岸になる。ほぼ南北に流れる高城川の源流部の左岸に川を向いて建つ家は西向きの家である。朝日が射してくるのが遅かったのは、単にV字谷にあるというだけでなく、東の山裾に西を向いて建っていたからであったと、今分かる。当時居住していた母家の北側に隠居(祖父母の住い)が同じ向きに建っていたが、物心ついた頃祖母はなく祖父は同居していた。隣家は生家の上流右岸に直線距離にしておよそ100mに位置し、川をはさんではす向いにあっ
た。その上流には一軒の人家もなく、阿久根市堺へと続く5.6百mの山々が控えていた。隣家の山田勝美さんの家は川の方を向いてはいたが南東向きだった、と思う。隠居の北側(孟宗竹林)に回ると全景が見えた。

小学3年生の春、入学式の翌日のことである。登校前の時間、山田さんの家の方から「ま~とちゃん」と声がかかる。私は母に急かされて隠居の北側に回り「は~い」と返事をする。すると「勝雄がもういっき行っで、待っとってくんやんせなぁ!」と続くのである。私はまた「は~い」だけである。声の主は宮さんといい、勝美さんの奥さんで勝雄のお母さんである。勝美さんの家は以前火事にあったとかで当時総瓦葺きの立派な家であったが、宮さんの声はそこではなく、一段上(標高差4~5m)の粗末な小屋の前からで、勝雄へも声をかけているようであった。勝雄は宮さんの長男でこの年小学校へ入学した後輩で弟も一人いた。昭和26年頃のことである。宮さんがいつの頃からかその小屋に住んでいたのかははっきりしないが、肺結核(肺病と言った)という病気で隔離されていることは知っていた。家族は他におばあさんと叔父さんがおり、米をつくり牛を飼い、冬場は木炭を焼く集落では一般的な農家であった。二人兄弟の食事・身のまわりの世話は姑であるおばあさんの役で、宮さんもよく声かけをして躾に加っていたのだろうと今想像する。小屋は俗に掘立小屋と呼ばれる土中に丸太を立て柱としワラと茅で屋根と壁を葺いてあり、入口近くに大きな梨の木があった。その小屋の前を水平の移動すると母屋の真上で、宮さんと家族は十分に言葉を交わすことができた。また、その先は珍しかった温州みかん畑へと続いており秋に収穫したみかんは半地下に芋のように貯蔵してあり、宮さんに掘り出してもらったこともある。何歳だったのだろうか。子たちの幼なさからすると30歳代前半だったのかもしれない。その頃の田舎では肺結核は恐い伝染病で、発病者のいる家の近くは息を止めて通り抜けるのである。結核予防法という法律があり感染の恐れある患者は国立療養所などに強制的に隔離されることがある、と知るのはずっと後のことである。幼い二人の子が近くにいながら一緒に生活できず、姑に託すしかなかった宮さんの切なさ、つらさ、悲しさなどが今更ながら想われる。朝の呼びかけに母が何日も何日も応じさせたのは同じ親として何か力添えをしたかったのだろうか。

それからどの位の時間が経ったのか、ある日学校から帰ると大きな梨の木の下から炎が立ち登るのを見た。宮さんが亡くなり小屋は少々の家財道具と共に焼かれた。

あれから60年近くの歳月が流れた。豊かになった、嘘みたいに豊かになった。日本人の平均余命が50歳を初めて超えたのが昭和22年だという。今は80歳を越える。豊かになって平均余命も延びた。人は幸せになったのであろうか。いや、私は幸せです、と胸を張っていえるようになったのだろうか。

なんとなく自信がない。昨年末亡くなった福岡の中尾徹昭先生の言葉を借りるなら「人間とは、あるものが見えなくて、ないものが見えるという不思議な生き物です」である。

家がない、車がない、金がない、才能がないから太陽がある、空気がある、目がある、耳がある、手足があるへの転換は難しいであろうか。思えば全ては頂きものであった。いのちは私のものではない。私がつくったものではない。いのちが私を生きているのである。ことの順逆を間違えてはならない。

『花咲けば 命一つといふことを』  あきら 
                  ※あきら (本名 大峯 顯)
                   宗教哲学者。文学博士。大阪大学名誉教授。毎日俳壇選者。
                   著書多数 奈良県在住

平成22年春季号より

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