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季刊誌「せおと」-fileNo.006-あなたの言葉は、なぜ相手の胸に響かないのか

fileNo.006あなたの言葉は、なぜ相手の胸に響かないのか

『まなざしの心』

言葉は難しい【楽しいとも言えるのですが】。私たちが日常使う言葉は二重構造になっているのだそうです。つまり、言葉そのものが伝える意味とそれとは違うレベルのもう一つ別の意味があるというのです。心理学用語では前者をメッセージと言い、後者をメタ・メッセージと言うのだそうです。解りにくいと思いますので例をあげてみます。もし、あなたがある時ある所で「あなたって親切な人ね」と言われたとします。字面(じづら)だけ聞いたり見たりすれば確かに誉め言葉ですが、その時の状況で「あなたはおせっかい焼きだ」と聞こえる時があります。今回はこのことについて書きたいのです。

メッセージでは「親切ね」と言いつつ、その言葉に「少しおせっかいすぎるよ」という別の意味を乗せることができるのです。ここが言葉の厄介なところです。メタ・メッセージだけに気をとられると疑い深くなるし、いつもいつもメッセージだけで受け取ると「あの人には皮肉も通じない」などと言われかねません。私たちは日常この両方の絶妙なバランスの上でコミュニケーションしているのでしょう。 

では、メタ・メッセージを運ぶものは何なのでしょうか。一つは「目つき」というか「まなざし」です。それと仕草であり、その言葉が発せられる状況場面でしょう。音色(ねいろ)【言葉の音色】も加えたいですね。まなざしには尊敬のまなざし、疑いのまなざし、見下げるまなざし、スケべそうなまなざし等々です。俗言に「芸人殺すに刃物はいらぬ。あくびの三つで頓死する。」というのがあります。これは仕草によって人をたたきのめすことができるという証しです。高座の芸人さんは観客のまなざし【期待】と笑いという協力なしでは芸を披露できないのです。

ごく一般の社会生活においてもことは一緒です。子【人】は親や学校、社会の期待【まなざし】に応えようとして自分を調(ととの)えていきます。「この児はどうしようもない奴だ」というまなざし【マイナスの期待】にさらされ続けると反発しながらも「どうしようもない人」に育ち、「この児はいい子だよ」のまなざしの中では「素敵な人」に育つのでしょう。極言すれば、「人は人のまなざし」で育てられてきたのだと思います。

ここまで書いて優しい言葉って何だろうになりました。丁寧な言葉?上品な言葉?どれも違う気がします。先の言葉で言えば、メッセージとメタ・メッセージがピタッと一致していることではないでしょうか。本来二重構造になっている会話を二重でなくしてしまうこと、つまり発する言葉と発する人の心情【まなざし等】がピタッと一致していることなのではないでしょうか。心底親切にして頂いたと感じた時に「あなたは親切な人ですね。」と言葉にするという意味です。まざりっ気なしの言葉、あるいは純度の高い言葉と言っていいのかもしれません。

道元禅師は「愛語(あいご)よく回天(かいてん)の力あることを学すべきなり」と書いておられますが、「愛語」とは人に対して菩薩【仏になる一歩手前の人】の思いをもって物を言う慈悲の言とあります。「回天」とは天を回すこと、つまり愛語は自分を変え、人を変え、世界を変えるのです。言葉にはそんな不思議な力があるのですね。
私の師匠岩下榮次先生[全日本カウンセリング協議会理事長]は「ことばにいのちを乗せる」とか「いのちがかかっていることば」という表現をされますが、愛語を表す言葉に思えます。言葉と人は分けられません。言葉はその人の人生が乗っかっているその人の人格そのものです。なぜなら言葉の字面(じづら)は一緒でも、まなざし、仕草、音色(ねいろ)がそれぞれ違うからです。
それにしても前出の「菩薩の思いをもって物を言う・・・」の菩薩の思いとはどんな思いなのでしょうか。今の私には言い表すことはできませんが、とても大事なことのように思えます。菩薩にはほど遠いにしても、少しでも多く優しい言葉を口にし、その言葉に優しいまなざしを添えられる自分でありたいと願っています。

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