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季刊誌「せおと」-fileNo.032-時間という津波

fileNo.032時間という津波

『時間という津波』 昨年9月下旬、不覚(?)にも右足のアキレス腱を切った。切ったというよりも切れたのだけども、その時は捻挫くらいの受け止めであった。出身小学校の運動会での出来事である。以前この「せおと」に書かせてもらったが、私の出身小学校は薩摩川内市の山間部の超過疎地で数年後に閉校になる見込みである。そこで古希を迎えた同級生が集まって盛り上げよう(?)と参加していた。

百米を走ったわけではなく、俵かつぎ競争などと過激な競争でもなく(俵などかつげるはずがない)、上にあがったボールを取ろうと一歩踏み出したのだ。その瞬間、うしろからドッジボールみたいなものを激しくぶつけられた感じがあって、思わず振り返ったが誰も居なかった。

養護室に連れ込まれ(?)湿布とサポーターで応急処置をしてもらい横になる。鹿児島市で歯科医を開業している同級生のW君が、足首を触ったりして「大丈夫だ。足の指が動くから切れて(アキレス腱が)はいない」と言う。歯医者さんに分かるの?と私の顔が語ったかもしれないが、念の為にと整形外科医のご子息に電話で訊ねてくれた。回答は「足の指が動く場合でも断裂は考えられるので、明日にでも専門医で受診されるように」とのことであった。アキレス腱断裂経験者の同級生によれば、断裂は転げ回るほどの激痛があるので、「あなたの痛み程度」(人の痛みも知らないで)なら捻挫と考えるのが妥当である、というすばらしくいい加減(?)な診断で、救急車を呼ぼうとは誰の口にものぼらなかった。

その後学校近くの同級生の家に呼ばれ静養する。運動会が終ると皆そこに集まり宴会となる。もちろん最初からそうなるように計画されていたので文句は言えないのだが、足首を冷やしながら少しばかりのおにぎりと煮つけを頂く。夕方近くになって迎えを呼ぶか、自分で運転して帰るか思案した。自宅と小学校はおよそ50㎞の距離にあるが幸い近くに長男と長女家族が住まっており応援はもらえそうである。試しに車を運転してみると何とかなりそうなので自宅に帰る方へ気持ちが傾く。とはいっても右足首の傷でアクセルもブレーキも右で踏む。運転席を精一杯ハンドルに寄せ、なるべく真上から踏むようにセットすると、それほど痛みを感じることなく足が動かせる。慎重な運転を心掛け、無事我が家にたどり着いたのはとっぷり日が暮れてからであった。連絡が遅いと詰なじられながらも晩酌(ダイヤメ)はやる。

翌朝、腫れてはいたが、それほどの痛みはなく患部を触ると、切れるとへこむという部分が確かにへこむ。入院の可能性を考慮して近くのクリニックから南さつま市の病院へ変更し、自分で運転して外来受診する。今にして思えばずい分乱暴な話である。

診察はすこぶる速く「右足アキレス腱断裂」とのたまい、この季節(運動会シーズン)多いんですよ、と主治医の声が弾はずんでいたような気がする。26日入院、27日手術と話は進み1ヶ月近い入院生活と相成あいなるのである。手術は皮膚部分を切開して、腱を引っ張りだしてつなぎ合わせるとの事前説明であった。ところが手術のその時になって、治療法は手術だけではなく、ギブスで固定して、自然につながるのを待つ方法もあると言われる。手術用のメスを右手に持ちながら「どうされますか?」ってそれはないよなぁ!切る気十分なのにと秘そかに思った。術後家内が主治医に聞く「先生、退院の時は松葉杖なしで歩いて帰れるのですか」。先生「とんでもありません!つながるのに3カ月、治ゆといえるのが6ヶ月、元に戻るには1年かかります」。

あれから6ヶ月近く、3月の今も週2回の外来診療(リハビリ)は続けているが、松葉杖も装具もなしで歩行に支障はない。

3月といえば、あの東日本大地震、大津波から丸2年の月日を数える。膨大な物的被害と2万人近い死者・行方不明の人的被害、その上原発事故で自分の土地へ帰れない人も数多い。とくに津波の映像を見る度に被害に遭われた人の恐ろしさ辛さを想像すると胸が痛む。私は幸い、いずれの災害にも遭遇しなかったけれども、負傷、入院、手術、リハビリと衰えゆく自分の身体と向き合うと「時間という津波」がゆっくりであるが、間違いなく、忍び寄ってくるのを感じる。昨日より今日、今日より明日と確実に老いていく。今から2600年前にインドに現れたお釈迦さまの気づき(おしえ)は、この時間を超える道だったのだと今思う。生老病死の覚さとりとは「時間という津波」からの超越(脱出)だったのであろ
う。老いや病い、ひいては死の恐怖から、なんとしても人間(自分を含め)を救いたかったお釈迦さまのお手柄である。時間を超えるとは生死を超えることで、有限な者だけの人間関係だけでは解決は難しい。お釈迦さまは無限なる者の声を聞かれたのである。

今また思う。物理的な津波からの復興はもちろん大事なことであるが、日々の暮らしの中の「時間という津波」を防ぐ手だて、避ける手だても大事に思えるけれどもいかがであろうか。

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