特別養護老人ホーム美樹園 | 社会福祉法人南陽会鹿児島 谷山 老人ホーム 特別養護老人ホーム

季刊誌「せおと」-fileNo.81-暑さで寝つきの悪い夜に、八十を超えたジジイが羊でもあるまいと思い「歎異抄(たんにしょう)」を第一条から空んじることを思い立った。

fileNo.81暑さで寝つきの悪い夜に、八十を超えたジジイが羊でもあるまいと思い「歎異抄(たんにしょう)」を第一条から空んじることを思い立った。

【猛暑の夜に】「先生よ!念仏が一番大事とおっしゃったですよね!」「あんたのバカ息子はもっと大事なことがあると言うけどホントですか!」「今日という今日は本当のことを語ってくださいよ!」もう質問というより詰問である。

今年の夏の総括、記録的高温。いや今[九月上旬]も暑い。その上天候不順である。梅雨入り明けの早かったこと[後日訂正あり]八月中旬の霧島・姶良方面の大雨、下旬には突如現れた台風十二号に伴う南薩地域の水害と災害も多発した。

 暑さで寝つきが悪い夜は羊を数えるという漫画を思い出した。あの「ヒツジが一匹、ヒツジが二匹」のあれである。されど八十を超えたジジイが羊でもあるまい[笑]と思い「歎異抄(たんにしょう)」を第一条から空んじることを思い立った。

 歎異抄は仏教の一宗派「浄土真宗」の宗祖[創始者]である親鸞(しんらん)の言行録とされ年若い門弟唯円が書き遺したものである。

 始めてみると第一条は何とかクリアできたが第二条は文章が少々長いこともあって難渋している。つまり羊の二匹目あたりで眠ってしまう。入眠効果抜群である[笑]。

 第二条の書き出しは「おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。」である。

 我流で訳せば「十ケ国の向うから命がけで訪ねてこられたのは、ほんとうに生きるとはどういうことかと問い質(ただ)すためですね。」と応じた親鸞である。

 少し歴史を語れば浄土宗の創始者は法然(ほうねん)で親鸞は四十歳下の門弟である。二九歳で弟子入りして四年目にある事件に遭遇する。直接関与者数人は死罪、宗祖の法然は土佐[高知県]、親鸞は越後の国[新潟県]へ流罪となる。

 越後での刑期四年を終え京都へ戻ることが許されるが師匠の法然もすでに亡くなっていたこともあり一二一四年妻子を伴って関東へ旅立つ。

 鎌倉幕府の成立が一一九二年とされるが当時の僧侶は戒律で結婚を禁じられていたわけであるから相当の破戒坊主である。もっともこの頃の仏教界はすでに乱れていてほとんどの坊さんには隠し妻があり「大黒さん」と呼ばれていたらしい[笑]。そんな中で公然と妻帯する親鸞は破戒坊主というより反逆坊主である。

 越後を発った親鸞一行は信州[長野県]善光寺を経て常陸国[栃木県]小島[下妻市]に落ち着き三年後に近くの稲田[笠間市]へ移り布教活動をされたという。

 前置きが長くなったが関東[栃木・埼玉・千葉・東京]でおよそ二十年布教の後京都へ戻られるがすでに六三歳であった。京都に戻られても関東の門弟達と交流は続くがもっぱら執筆活動が主で「教行信証」と呼ばれる大著もある。

  そんな折関東の門弟達の間で教えに対する争いが生じたので長男の善鸞(ぜんらん)を派遣される。これが裏目に出て騒ぎは大きくなり、この騒ぎが歎異抄誕生の発端と思われる。

 善鸞は関東の門弟達に「私は父からあなた達の知らない教えの極意を秘かに

聞かされている」と語ったのである。いつの時代にも父と息子はよく対立する。父を超えたい息子は時として暴走する。それを聞いた門弟達は怒り、それならば確かめようではないかとなったのであろう[このあたりから私の妄想である]。

 仲間を募って上京することとなる。この中に歎異抄の著者唯円もいたであろう。

それが第二条の冒頭「十余箇国のさかひをこえて」になる。十余箇国とは旧国名で常陸、下総、武蔵、伊豆、駿河、遠江、三河、伊勢、近江、山城の国である。栃木県から京都まで歩くのである。今なら東京・京都問は新幹線で二時間半と聞くがこの頃東海道五十三次は徒歩二週間程度かかったというから「身命をかえりみずして」も大袈裟ではない。

 京都で師匠の親鸞に会った門弟達は矢継ぎ早に聞いたことであろう。

門弟I「先生よ!念仏が一番大事とおっしゃったですよね!」

門弟2「あんたのバカ息子はもっと大事なことがあると言うけどホントですか!」

門弟3「今日という今日は本当のことを語ってくださいよ!」

 もう質問というより詰問である[妄想終り]。

 あの貧しい時代に[ほんとうに貧しかったのだろうか]命懸けで自分の生き方を問うた師と弟子がいたことに感動する。

 歎異抄は知的財産などではなく心情(こころ[魂])の遺産である。仏教は死者供養の道具ではない。生きて迷う者の道標(みちしるべ)である。

令和7年秋季号より

お問い合わせ

ご質問やご相談、当法人に関するご質問等ございましたら以下よりお気軽にお問い合わせください。

Action Plan暑さで寝つきの悪い夜に、八十を超えたジジイが羊でもあるまいと思い「歎異抄(たんにしょう)」を第一条から空んじることを思い立った。

最新号

アーカイブ

お問い合わせ

ご質問やご相談、当法人に関するご質問等ございましたら以下よりお気軽にお問い合わせください。