特別養護老人ホーム美樹園 | 社会福祉法人南陽会鹿児島 谷山 老人ホーム 特別養護老人ホーム

季刊誌「せおと」-fileNo.022-知足

fileNo.022知足

『知足』 昔ばなし(思い出)を語るようになると年寄りだ、と言われるのを承知の上で(年寄りのどこが悪いと毒づきつつ)、今回も語り(騙り)を進めたい。考えてみれば齢を重ねると当然未来のことより過去が多くなる。あたり前といえばあたり前のことである。

平成の大合併とやらもほぼ終了して、鹿児島県の市町村数も以前の半数以下となった。今回の合併前の96市町村なら空でも言えるからもの心ついて60年ずいぶん馴染んでいたんだなぁと思う。もっとも合併は促進法がある時だけではない。時代の状況に応じて随時行われており、鹿児島市と谷山市の合併なんてのもあった。

私の生まれ在所も薩摩郡高城村から隣村の下東郷村の一部を取り込んで高城町となり、その後川内市と合併する。その川内市も先の大合併で薩摩川内市へと発展(?)した。

昭和24年4月私は吉川(きちがわと読む)小学校へ入学する。その小学校の正式名称は高城村・下東郷村併立吉川小学校と言った。校区は4つの集落で成り立っており、3集落は高城村で一集落だけは下東郷村であった。6年後卒業する時も併立のままであったから合併はその後のことになる。当時高城村には6つの小学校と2つの中学校があったが、多分併立は我が小学校だけだったと思う。

4月の新学期が少し落ち着いた5月の子どもの日は全村6小学校の児童全員が村の中心付近にあった混岳(こんたけ、369メートル)登山の催しがあった。頂上近くに全員集まって学校紹介などやっていた気がする。1年生から6年生まで春の遠足はこの混岳登山、お別れ遠足は逆方向へ一山越えた藤川天神であった。ちなみに混岳は死火山とやらですぐ近くの川内高城温泉の湯が湧くのはこの山の恩恵だと言われていた。また当時の混岳は茅葺き用の茅山で植林もなく眺望が非常によかった。新1年生の登山には6年生の兄姉が同伴することになっていたらしいが、私の姉と隣家のオサム兄は異性の弟妹を嫌い、弟と妹を取り替え私はオサム兄と姉は同級生の月子ちゃんと登った記憶がある。どの小学校からも徒歩で混岳を目指しており、あの頃はほんとうによく歩いた。

あれから60年(綾小路きみまろ風に読むべし)、吉川小学校は山村留学を受け入れる学校になっており、近々川下の小学校と統合され廃校の予定と聞えてくる。ここまで書いてふっと詩人「まどみちお」さんの詩「地球の用事」が浮かんだので書き写してみたい。念のために彼は童謡「ぞうさん」の作詞家でもある。

地球の用事 

ビーズつなぎの 手から おちた 赤い ビーズ

指さきから ひざへ ひざから ざぶとんへ ざぶとんから たたみへ

ひくい ほうへ ひくい ほうへと かけて いって たたみの すみの こげあなに はいって とまった

いわれた とおりの 道を ちゃんと かけて いわれた とおりの ところへ ちゃんと 来ました 

と いうように いま あんしんした 顔で 光って いる

ああ こんなに 小さな ちびちゃんを ここまで 走らせた 地球の 用事は なんだったのだろう

赤いビーズは私だ。生きて(生かされて)きた道のりのところどころを自分の意思で決めてきた感じがしないこともないけれども、古稀も間近になった今になれば、全ては大いなるものの意志(あるいは慈悲)に包まれてのことであったと思われる。地球(宇宙)の用事などと聞けば特别の使命がある気がするけれども、それは決して世俗的(社会的地位・名声などを得る)なものでもまた、哲学的学問のような小難しいものでもないであろう。ごくごく日常的な日々の暮らしの中にあって、あまりにも当たり前すぎて気につかないだけかもしれない。

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