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季刊誌「せおと」-fileNo.007-自分を大切にしていますか?

fileNo.007自分を大切にしていますか?

『無財の七施(むざいのななせ)の心』

この言葉に初めて触れたのは四十年以上前のことです。その頃は戦後二十年を経過して障害者の福祉にも光があたってくる時代だったと思いますが、滋賀県に近江学園と言う知的障害児[当時は精神薄弱児と呼ばれた]の施設があり、その創始者が糸賀一雄先生でした。当時障害児の福祉向上に尽力された方で「精神薄弱児[者]の父」と呼ばれ「この児(こ)らに世の光をではなく、この児(こ)らを世の光に」と叫ばれた言葉はとても有名でした。「に」と「を」の違いで哀れみの存在ではなく、人のありようの目標とせよ、と熱っぽく語られる人でもありました。その糸賀先生がある講演会でこの「無財の七施」語られるのですが、その途中で倒れられ、それがもとで亡くなられるのです。それ以来この言葉は私の記憶に残り折に触れ立ち昇ってくるのです。

前置がながくなりました。「無財」は財産[金]が無いということで、「七施」の「七」は七つです。「施」は施(ほどこ)しの意です。施しは、字だけ観ると上の者が下の者へ哀れみの情を持って何かをする感じがありますが、仏教では、布施行(ふせぎょう)という行[修行]があるくらい物をあげるのも頂くのも心のあり方が問われることなのです。俗に「物をあげるも上手下手、物をもらうも上手下手」というのも、布施行に通ずることのように思われます。

「無財の七施」は財産が無くても自分が他人(ひと)にして差し上げられることが七つあるよ、と言うのです。
1番目は「身施」、しんせでは、次の「心施」が同じ読みで重なるため「からだ施」と言います。もっと言えば「捨身施(しゃしんせ)」[自分の身体を他の生物(いきもの)に与える]からでてきた言葉のようです。今ふうに解釈すれば、自分の身体を使って他人へ奉仕することと考えていいと思います。手を貸す、荷物を持ってあげる、身体で人をかばう等があるでしょうか。

二番目は先の例にならって「こころ施」と読みます。他人(ひと)の苦労を聞いて差し上げるとか他人の「幸せ」を自分のことのように歓ぶこともここに入ります。簡単そうですが、以外と他人の幸福はどこか妬ましく素直に喜べないものです。[私だけ!?]むしろ「他人の不幸は蜜の味」だったりします。

三番目は「慈眼施(じげんせ)」。他人(ひと)を見るまなざしのことです。慈しむ目つきは他人の心を穏やかにし育みます。

四番目は「和顔施(わがんせ)」あるいは「和顔悦色施(わがんえつじきせ)」。和やかで生きていることを喜んでいる顔でしょうか。疑いのない顔に出会うと何かほっとし、生きる力を頂くようです。

五番目は「愛語施(あいごせ)」。前回号に「愛語(あいご)には回天(かいてん)の力あり」と書いたあの道元禅師の愛語のことです。慈悲(じひ)の言葉はかたくなな心を解きほぐしてくれます。

六番目は「房舎施(ぼうしゃせ)」。雨やどりに軒(のき)したを貸すこと、あるいは一宿一飯(いっしゅくいっぱん)の施しのことだそうです。

最後は「床座施(しょうざせ)」。席を譲ることの意で、車中やらベンチで難儀そうな人に席を勧めることなのでしょう。

いま、巷(ちまた)ではボランティア教育などと騒いでいるようですが、私はそれほど身構えて行うことではないような気がします。躾(しつけ)とは身を美しくと書きますが、「無財の七施」の心はその延長線上にある気がします。人を尊重するのは自重[自分で自分を大事にする]に始まると言われますが、「無財の七施」は「施す」という形を取りながら自分自身を大事にする振る舞い、自分が美しくあるための教えであるような気がします。

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