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季刊誌「せおと」-fileNo.50-万劫の初事(まんごうのはつごと)

fileNo.50万劫の初事(まんごうのはつごと)

『多くの別れと書いたが、父との別れも母とのそれも一回切りである。父と二度死に別れた人はなく、母と再三別れた人もあるまい。物心ついてから何十回となく葬儀に参列したが、柩(ひつぎ)の中に同じ人が入っていたことはない。全て初事(はつごと)であった。出会いもまた然(しか)りであろうか。』

 

秋が深まったのか、冬が始まったのか、境があいまいな十一月末、西側のサッシ窓から隣家の柿の木を眺めていた。真っ青な空に熟し切った赤い実が美しい。

小春日和とはこのような日を言うのであろうか、と言葉を巡らせていると「ドン!」と鈍い音と共に黒い物が落ちる。「あ!鵯(ひよどり)」と思う。

この季節はなぜか大きいサッシ窓にぶつかり死ぬ。庭の東側の握り拳(こぶし)大の数個の石は彼らの墓石である。大きな窓に青空が写り彼らには空の続きに見えるのだろうか。「俺の精じゃないよ」と思いつつも少し胸が痛む。

軒下へ回ってみると犬走りに横たわり口ばしが少し歪んで見えたが息はある。戻って家内に告げるとのぞきに来て器に水を張って与えたが動く気配はない。助かるまいと思いながら部屋に戻りしばらくしてのぞくと姿がない。

あれ!猫にでも襲われたかと周りを探すと近くの生垣の下にいる、と見えた瞬間裏山からもう一羽やって来てパッと一緒に飛び去った。犬走りには水の器と糞とホッとした気分が残った。鵯はなぜこの時季にやって来て窓にぶち当って命を落すのか、ものの本によれば「山地の樹林に繁殖し、秋、群をなして人里に移る。」とあった。窓にぶつかる理由も秋に群をなして人里に移るのかも分らないが、彼らも季節と共に巡るものらしい。

鳥たちが季節と共に渡り歩き循環しているようであるが、絶えず移り変わるというところは直線的であり人生もまたそのように観える。生れた者は死へ向ってひたすら一直線である。青年期とか老齢期とか山や谷があるように観えないこともないが死へ向ってとどまるところがない。70年80年生きたところで一瞬のことであったと生きた者なら分かる。

その一直線の上に出会いと別れがある。父や母、兄弟姉妹、師や友と出会い、そして別れる。長寿はめでたいと誰もが言うが、永生きに別れはついて来て、どれほど多くの別れを重ねたことであろうか。ここでまた考えてしまう、多くの別れと書いたが、父との別れも母とのそれも一回切りである。父と二度死に別れた人はなく、母と再三別れた人もあるまい。物心ついてから何十回となく葬儀に参列したが、柩(ひつぎ)の中に同じ人が入っていたことはない。全て初事(はつごと)であった。出会いもまた然(しか)りであろうか。

陶芸家河井寛次郎(1966年没・児玉美術館に展示品あり)に次のような文章がある。

『新しい自分が見たいのだ一仕事する。』の自解(じげ)として「昨日の自分には皆用がない。繰り返しなんかには用はない。いくら繰り返しをやって居ると思っても、其の繰返しの中にいつもくり返さない自分を見ようとして居るのだ。どんなつまらない仕事を強ひられて居たとしても、次々により新しい自分を見ようとして引きづられて居るのだ。これ以外に人を動かす動力があるであらうか」。一直線の人生に操り返しはないのかもしれない。

一直線で死に向い儚(はかな)く終る人生のどこに生きる意味があるのであろうか。話が飛躍して聞えるかもしれないが、我々個人のいのちの中にもう一つのいのちがあってそれを本当の生命(いのち)と呼ぶとする。本当の生命とは個人の内にあるが個人を越えた普遍的なものという意味である。つまり我々のいのちは「個人が自分のものと思っているいのち」と「本当の生命」の二本立てなのである。個人が思っているいのちを「自分[自己]」本当の生命を「本当の自分【自己】と言ってもいい。自分を「我」、本当の自分を「大我」と呼んでもいいが、日常の暮しの中では「我」の声が大きく「大我」の声はか細い。我は自己主張が強く損得勘定、勝ち負けを言いたがる。

道元禅師が「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。後略」【正法眼蔵】の「ならふ自己」は「本当の生命【大我】」のことであり「わするる自己」とは「自分のいのち【我】」のことである。また、自分のいのちは有限であるが、本当の生命は無限で無くなることはない。

私達の日々の耆しは勝ち負けや損得勘定に忙しく「いのち」など深く考えもせず生きているが、自分のいのちは本当の生命によって支えられているのである。それに気づくのは多分生命の危機に瀕(ひん)する時であろうか。

その本当の生命、本当の自分との出遇(であ)いがこの世に生を受けたこの私の人生の意味なのであろう。

大空の 瑠璃色に年 あらたまる    あきら

平成30年冬季号より

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