特別養護老人ホーム美樹園 | 社会福祉法人南陽会鹿児島 谷山 老人ホーム 特別養護老人ホーム

季刊誌「せおと」-fileNo.53-ないしょばなし

fileNo.53ないしょばなし

『今を語るには昨日と明日がなくてはならない。今は今だけでは成り立たない。であればこの世を生きるには前世と来世が必要となる。今を心安らかに生きるには来世があった方がいいように思えるが、いかがであろうか。』

 

暑かった。ほんとうに暑い夏だった。「猛暑」、「酷暑」の上に「危険な暑さ」ときて「災害と呼ぶべき暑さ」とおそろしいほどの表現が飛び交った。テレビも「ためらわずに冷房を使え」と我家の財政事情などかまわずアナウンスするので終日つけっぱなしである。

暑くなると私は脱ぐ。パンツー丁とまではいかないけれど半ズボンだけで一日暮す。老人【私】の裸は腹は出る、皮膚は垂れるわで見苦しきことこの上なしであるが人の目などかまっていられない【鹿児島弁では「品(ひん)も所作(しょさ)もなか」という】。家人からは脱げるからいいねえと半分嫌みを言われても聞えぬフリをする【この頃は耳もあやしくなってほんとうに聞えなかったりする】。

ところがである。この春離島へ転居した次男家族四人がお盆前から帰省して滞在することになった。数日のつもりが台風の影響で予定の倍近くのお泊りである。今年は8月だけで9個も発生したというからビックリものであるが離島航路は天気図上に台風が記載されただけで止まるんじゃないかと思われる位風に弱い。さて一家4人には当然嫁も含まれているので裸では暮らせない。改めて認識したことであるが娘の前での裸は平気なのである。そんなこんなで裸で暮せない日々がしばらくあったので余計暑かったのかもしれない。

8月13日には迎え火を15日には送り火を焚いて祖霊を送迎する。お盆の催し事は正統な仏教の教えではないと聞いているが亡くなった人を偲ぶよすがではある。先だった人を偲ぶのは今の自分の在りようを考えることでもある。生きて在る者を語るには先だった者の存在なしでは語れない。

今年初盆の人は多く、とくに心情的に親しい人が含まれた。昨年末には所属寺の坊守(ぼうもり)【住職の奥さま】、明けて1月末には敬愛してやまない奈良の大峯顕(あきら)先生が逝かれた。お盆明けの19日には大阪は摂津市の知人[住職]の小学六年生になる一人息子が亡くなったと知らせが届いた。

白骨(はっこつ)の御文章(ごぶんしょう)が聞こえてきた。これは浄土真宗の葬儀【通夜】の場で読まれる蓮如上人【浄土真宗八代門主】の門徒への便りの一通である。聞かれた方もあると思うが全文を写してみたい。

『それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観(かん)ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終(しちゅうしゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。

さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことをきかず 、一生過ぎやすし。

いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。

われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。

されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。

すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひを失いぬるときは、六親眷族(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐(かい)あるベからず。

さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。

あわれといふもなかなかおろかなり。

されば人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて念仏申すべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。』。

五百年前の文章であるが医療・福祉が充実した現代も何ひとつ変っていない。

私たちは自分達の思いや意志の及ばない世界に生きて【生かされて】いる。生れる土地【国】も親兄弟も性別はもちろん容姿も才能も選ベはしなかった。そしてまた死もしかりである。子がせめて小学卒業までと願っても逝かねばならぬ母親もいれば、親の命を差し出すと叫んでも先だつ子もある。まさに逝く人は老少不定である。確かに統計的には老いたものが先に逝くし、医学の進歩、介護などの充実で寿命はのびた。けれど死ななくなったわけでも年齢順になったのでもない。

現代人の多くは「死んだら無になる」と思っている節がある。他人の死を見る限り確かに身体は骨と化す。身体が自分の全てなのだろうか。また「死んだら無になる」で今日を安心して平穏に暮せるのであろうか。

今【今日】を語る【生きる】には昨日【過去】と明日【未来】がなくてはならない。今は今だけでは成り立たない。であればこの世【現世】を生きるには前世【過去】と来世【未来】が必要となる。今を心安らかに生きるには来世【あの世】あった方がいいように思えるが、いかがであろうか。

新涼の 庭いちめんに 来たりけり  あきら

平成30年秋季号より

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