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季刊誌「せおと」-fileNo.66-年賀状

fileNo.66年賀状

『ここからは彼の一人舞台である。脱ぐは踊るは大はしゃぎである。踊り子が踊るのではない、男の客が踊るのである。珍事である。そこへもう一人男性客が加わり大盛り上りであった。今もって謎なのはこのドンチャン騒ぎの会場に新郎新婦も駆けつけたことである。』

 

十一月も下旬に入るとボツボツと喪中ハガキが届くようになる。大方は年賀ハガキをやりとりしている知人で父母【義理を含む】や兄弟姉妹が年内に亡くなったので新年のあいさつを遠慮するとの文面である。

時折知人ではなくその遺族【子息や奥さん】からのものである。「某月某日、父(夫)は〇〇歳で永眠致しました。これまでに賜りました厚情を感謝いたします。」と見知らぬ人からハガキが届く。前者は年賀状の一時休止であり後者は廃止通知の感じがしないでもない(笑)。もちろん遺族の行為は有難いのでお悔みのお便りは差し上げる。

ずい分昔のことであるが知人が亡くなったと知り取り敢えずお悔みの電話を入れた。当然本人は出ない。家族の誰とも会ったことも見たこともない。電話口で名乗ってはみたものの向うも戸惑って会話がうまくいかない。笑えない笑話である。たまたま法事でそこに居合わせた坊さんが知り合いの中尾徹昭師【当時福岡県飯塚市明光寺住職】で仲を取り持ってもらいお悔みの用を果せたことがある。

その中尾師も亡くなられて久しいが実に愉快で素敵な言葉を紡ぐひとであった。遺された彼の詩集「ことば」に次の一節がある。

『自分が死ぬことを考えていますと、あの人、この人、一人一人にお礼が言いたくなってきます。死ぬ時には、もう手遅れなので、今のうちに手紙を書こうと、一旦は思いますが、あの人、この人を思い出していますと、あまりの数の多さに「不可能!」に至ります。更に考えますと、人だけにとどまらず、自分が眺めてきた山川草木、聞いてきた無数の音、いただいてきた無数のいのち、に思いいたります時に、絶句してしまいます。

私は自分が死ぬ時、ほんとうは力一杯言いたいのです。「皆さん、お世話になりました。ありがとうございました」と。

もちろん、それはほとんど出来ないことです。ですから、それにかわって誰かが「皆様のご厚情に対し、本人になりかわりまして厚く御礼申し上げます」と言って下さいますでしょう。

そうすれば、それが私の最後の言葉であり、その中に私の人生はすべて言いつくされていることになるのです。』

ことのついでに彼の思い出をもうひとつ。おおよそ三十年昔のことである。長崎に暮すある私立中学校女性教諭とよく分らない山形県の男性が結婚することとなり山形県の上の山温泉【記憶があいまい】のとあるホテルで仏前結婚式と披露宴が行われる運びとなり招待を受けた。旅費等は新婦側が負担するとのことで参列した。

当時屋久島に居住していたので屋久島空港から鹿児島空港乗り継ぎで羽田空港へ、東京から山形新幹線でホテルへ辿り着く。ホテルは温泉街の坂を登ったところにあった。

中尾師が司婚【仏前式で挙式を司る人】を務められ披露宴も終りに近づいた頃、宮崎から参加した尼子さんと私のテーブルに近づいた中尾師が「ショーは七時半からですよ」と攝かれる。よく分らないままに宴会を抜け出し坂の途中まで下るとそこは温泉街で良く見受けられるストリップ劇場である。ネオンサインに彩られた看板の下に「開演7時30分」と確かに書かれていた。

チケット売場の窓口も会場入口でのもぎり嬢も艶っぽい中年の女性である。我々三人以外に客はいない。

ここからは中尾師の一人舞台である。脱ぐは踊るは大はしゃぎである。踊り子が踊るのではない、男の客が踊るのである。珍事である。

そこへもう一人男性客が加わり大盛り上りであったが不思議とこの劇場の従業員はただ一人でチケット売りも、もぎり嬢も踊り子さんも同一人物であった。今もって謎なのはこのドンチャン騒ぎの会場に新郎新婦も駆けつけたことである。栗が実る秋のことであった。その新郎もこの世の人ではなく新婦には孫も生れた。

人生百年時代などと言うが終りが近づいた者からすれば人生の時間は短い。命長きは恥多しなどという言葉もあって長ければいいというものでもないけれども、来年の年賀ハガキが書ける今年・今は有り難い。

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 良寛

令和4年冬季号より

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