『値遭(であい)』 自分たちが主催する第63回カウンセリング研修会は、平成22年11月20日から22日まで北海道は支笏湖温泉のホテルで開催した(今回は2泊3日、通常は3泊4日)。少し歴史を語ると、この研修会は30数年前、斎藤・尼子両氏(お二人共浄土真宗の寺院の住職である)と3人で立ち上げ、春と秋の年2回開催してきたカウンセリング学習会である。毎回その都度案内のパンフレットを作成して、全国の同好(?)の人達に参加を呼びかけて開催してきた。
今回の案内を作成した尼子さんの冒頭の案内文を紹介したい。
『味覚の秋になりました。味にも色々ありますが、北海道まで「人間盛り合わせ」の出前をしたらどうだろうと提案したら、「面白かろう」ということになりました。』31年間62回「カウンセリング研修会」が継続し、「宗教哲学講座」も満5才になりました。皆々様にお育ていただきました。おかげ様です、念仏。
御礼の粗品、南国鹿児島の山海濃淡の珍味にのしつけて、「斎藤・廣瀬・尼子・畠野・大木・半之濱・福山(子連れ)・牟田姉妹」を、出前研修会に産地直送いたしました。廣瀬氏曰く「旅はどこへ行くかではない。誰と行くかだ。人生は何をなしたかではない、誰と会ったかである」、氏の墓標にも刻まれるであろう永久不滅の名言をライブであなたと。
「第63回カウンセリング研修会」は、いざ北海道支笏湖近辺をお騒がせいたします。(出前提案者 尼子)』
ついでに私の文章も『ある日の尼子さん、「この3人で動けるのもそうながくはない」との前置きで、この研修会がここまで歩んでこれたのは、地元の皆さんのおかげもさることながら、県外から熱心に参加してくださった人々の力添えによるものである。お礼の意味を含めて、その方々の地元で開催、取り敢えず北海道のあたりでどうかとの提案であった。私は「3人で動く」がはいり「ああ!」と天を仰ぐ心持ちがした。発足から31年、62回よく続いた。どの回も実に実に実り多く、実に実に楽しかった。ほんとうにほんとうにありがとうございました(ます)。63回秋のつどいは北海道は支笏湖界隈でお会いできますことを念じます(廣瀬)』
大分・長崎・奈良・和歌山・新潟・東京・群馬・地元北海道と鹿児島勢を含めて30人の参加で、思ったより盛会であった。11月の北海道なんて、どんよりした空で見るものは何にもありませんよ、と言われていたのに、2日目の支笏湖界隈は晴れわた り、空・湖ともに青く美しかった。
話は飛躍する。
家内の同級生のA氏が「この頃、散歩にでると帰り道がわからなくなることがある」にB氏「それは散歩ではなく徘徊である」と答えたと聞いて、大笑いしたことがある。
考えれば、人生はよく旅にたとえられるが、旅も帰るところがあるから旅であって、帰るところをもたない人にとっては、放浪にほかならないなぁ、に思いが至った。物理的にも精神的にも帰るところのある人は幸いである。
河井寛次郎(陶芸家・民芸運動家、児玉美術館にも作品あり)の言葉に、「この世は自分をさがしに来たところ、この世は自分を見に来たところ」というのがある。自分の中をいくら探しても、出てくるのは欲深く、疑い深く、嫉妬深い自分である。「生まれてきてよかった!」と言える自分に出会うには、他人(ひと)という鏡が必要だ、と私は思う。他人はいろんな姿で自分の前に現われる。親・兄弟、連合い、子や孫、友人・知人、あるいは歴史上の人物であったり、時には憎たらしい隣人であるかもしれない。仏教では、これらの人々を菩薩とよぶ。
思い起こせば、この二人に初めて出会ったのは、斎藤さんが30才、尼子さんが25才、私が35才の時であった。誠に有り難い値遇(であい)であった、感謝している。