『家康の名言の一つに「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐベからず。」というのがある。重荷を負うた人生と言われれば反論はできないが、重荷をおろして歩きたい。いや、歩きたかっとチャチャを入れたくもなる(笑)。』
二月中旬の庭は真っ白いスモモ、赤いヤブ椿、八重の椿、白モクレンと華やかではないが美しい。
ウクライナの戦争は未だに収まる気配がない。情けない!
四月一日付発行のせおとに何を書こうかと思いが往ったり来たりしていた二月二十二日の午前十一時前珍しく固定電話が鳴る。
隣室から「えーっ!あのヒロ子さん」と絶叫に近いカミさんの声が聞えた後子機が突きつきられ「ヒロ子さん、ヒロ子さん」と連呼される。私の中のヒロ子さんはクセの強い室戸の人しか思い浮かばない。
子機を受けながらはるか昔のヒロ子さんが閃(ひらめ)く。数十年前職場の同僚の奥さんにヒロ子さんがいた。電話口で現在地を聞くと花田小学校前を通り過ぎた「宝山焼酎の大きな一升瓶の広告塔」の下にいるという。
頭の中は一升瓶に大小はないけどなあなどとつまらぬツッ込みを入れている。「五分で行く」と伝えて車で国道二七〇号線花田小学校南隣の広告塔へ行くが車も彼女もいない。
家に電話して「いない!」と言えば小学校前を北上したところにも同じような広告塔があるようだとの答えである。何しろここが宝山発祥の地でやたらと一升瓶が立っている。
国道を五百m位北上して広告塔と車と女性を発見する。
顔を合わせて「おう!チッともかわらんな」と言ったもののマスクはしているし記憶はあいまいだしで本物の確証はない。一般論だけど久しぶりに会った友人に「チッとも変わらんなあ!」と言うか「ずい分老けたなあ!」と伝えるか意見の分れるところである(笑)。
老けた人にチッとも変らんと言うのを嘘つきと取るか思いやりと受けるか受け手の器量である。
要約して話を続ける。彼女との出会いは同僚の奥さんで卓球を通じて知り合ったという新婚夫婦であった。卓球の腕前は国体選手級だったと記憶する。その後赤ん坊を流産か死産かを契機に夫婦仲に溝が生じた【夫側の親も絡み】ものらしかった。離婚話が進展中か成立した直後の頃彼女が転居先の我が家に現われ二泊ぐらいして戻って行った。
それ以来四十五年の月日が経った。ちなみにこの日の手土産は焼酎黒伊佐二本であったが、なぜ黒伊佐なのかそのいきさつを語る。
ある時彼女の妹さんが次のように語りかけた。テレビ番組を引き合いにして人生は明日何が起るか分らないので会いたい人がいたら早く会っておく方がいい。私【妹】は近々ある人を訪ねるが姉ちゃんにはいないのかと問うた。しばらく思案したがフッと我々が思い浮かんだという。
廣瀬のフルネームも思い出せないまま電話帳やイン夕―ネットで検索の結果美樹園のホームページにたどり着き住居の吹上町花塾里地区が判明し好物は焼酎黒伊佐であると突きとめた。石神事務長に感謝である(笑)。
二十二日の朝突然訪ねてビックリさせようと自宅を出発したらしい。我が家近くの物産館、ガソリンスタンドと訊ね歩いたが探しあぐねて物産館で調べてもらった電話番号で連絡したとビックリさせられなかったのが残念そうであった。
家に招き入れると四十五年間の空白が語られる。二十歳で結婚、二十四歳で離婚。三十歳で中学の同級生の今の夫と再婚。二人の娘に恵まれる。その娘達もそれぞれ世帯を持ち七人の孫がいる。「まあ、幸せかな」と数枚の写真を見せながら話は続く。「まあ、幸せ」で「幸せ」と言い切らないところが微妙で話題は孫の養育の心配へと移るのである。
彼女の話を聞きながら逞(たくま)しい人だなあ、と思う。四十五年前も今回も悩みは語ったが「どうすればいいか」と方法論を訊ねたりはしなかった。娘や孫の在りように困っているとは語るが「いい手はないか」と問うたりはしない。今もどこかのクラブで卓球を教えているという。
今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」の主人公家康の名言の一つに「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐベからず。」というのがある。重荷を負うた人生と言われれば反論はできないが、重荷をおろして歩きたい。いや、歩きたかっとチャチャを入れたくもなる(笑)。
でも、まあ誰とも代われない代ってもらえない人生だ。どう引き受けるかそれこそその人の器量であろう。明日ありと思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは
親鸞
令和5年春季号より