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季刊誌「せおと」-fileNo.69-生活と人生

fileNo.69生活と人生

『顔馴染みの女社長が通電テストの為に妻に「ドライヤーはある?」と問うた。妻が答える「プラスですかマイナスですか?」。女社長「私が訊ねているのはドライヤー!あなたが言っているのはドライバー」。コントのようなやり取りの後ウオシュレットの交換が必要だという。』

 

十一月中旬のある日、トイレの便座の具合いが悪いのでみてくれと妻が言う。以前からリモコンによる温度調節がうまくいかないことは分っていたが夏場でもありそれほど気にならずほったらかしであった

ここ数日冷え込みが続き夜中のトイレは冷たく耐えられなくなったらしい。リモコンの電池を取り替えたり、あちこちつついてみてもラチが明かず町内の水道設備店に助けを求める。

翌日やって来た顔馴染みの女社長が通電テストの為に妻に「ドライヤーはある?」と問うた。

妻が答える「プラスですかマイナスですか?」。

女社長「私が訊ねているのはドライヤー!あなたが言っているのはドライバー」。コントのようなやり取りの後ウオシュレットの交換が必要だという。

同等の物と交換すると十五・六万円はするらしい。新築時に取り付けたものだが今更ながらいい物を使ってあったのだと思う。余談だが今回の修理騒ぎで「ウオシュレット」はTOTO製の「温水洗浄便座」の商品名であると初めて知った。

値段の高さに我が家の会計責任者が頭をかかえ込み数ランク下のリモコン方式でなく便座の横に操作機能のついた物で決着をみた。その翌々日の夕刻女社長の長男さんがやって来て交換が完了。快適なトイレ生活が戻った。

それにしてもトイレも変ったなあ、と想いは幼少期の頃にとぶ。生れ在所の卜イレ【トイレではなく便所であった】は母屋とは別棟にあり、あまりいい印象は残っていない。夜は暗くて怖く雨の日は軒下から軒下へ駆けなけれればならなかった。その上汲み取り式である。書きながら匂いが漂ってくる(笑)。

別棟の便所には五右衛門風呂が併設されていた。当時は簡易水道すらなく水は屋敷下の谷川からバケツいや桶を天秤棒で担って汲みあげていた。標高差五米、直線距離にして三十米、難儀な作業であった。飲み水もしかりである。そういえば煮炊きはいろりとカマドで燃料はタキギ・炭である。

あの頃の生活を思えば父だの母だの祖父兄姉が浮かび申し訳なさが先に立つ。ずい分とワガママ無理を言い嘘偽りの多かった自分が観える。訂正できるものなら書き替えたい思いに駆られる。

石垣りんという詩人の詩に次の一編がある。

くらし

食わずには生きてゆけない。

メシを 野菜を 肉を 空気を 光を 水を 親を きよぅだいを 師を 金もこころも 

食わずには生きてこれなかった。 

ふくれた腹をかかえ 口をぬぐえば 

台所に散らばっている にんじんのしっぽ 鳥の骨 父のはらわた 

四十の日暮 私の目にはじめてあふれる獣の涙。

石垣りんが「四十の日暮」と詩(うた)った齢より私はもう倍の時間を生きた。

慙愧(ざんき)にたえない。

本題に戻りたい。

トイレは汲み取り式から水洗【おまけにお尻も暖めてくれる】へ燃料は夕キギからガス、電気へと変わり炊飯、掃除、洗濯と生活はずい分と便利になり質も向上した。

がしかしとこのへソ曲りは思う。生活は豊かになり質も向上したが人生の質も豊かに向上したのであろうかと。

聖書にも「人はパンのみに生きるにあらず」とあるではないか。生活の豊かさが人生の豊かさとイコールではなさそうである。生活の向上とはパンの質が良くなっただけではあるまいか。もちろんパンはおいしい方がいい。けれどパンは食料にすぎない。食べるために生きるのか生きるために食べるのかと言ったのは誰だったか。

せっかく頂いた命である。生き切ったかと己(おのれ)に問う「八十の日暮」である。

令和5年冬季号より

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