『関係の音』 浜辺というか松林の近くで暮らしていると、さまざまな音に出会う。浜の音は砂と水がザザッと、水と水でザブンザブンであったりする。陸ではさわさわと木の葉がゆらぐ優しい音、ゴウゴウと小枝が飛んでくる程の強い風の音、ヒュンと鈍い電線の音もある。
ある時、木の葉の揺らぎのざわざわを聞きながら、「あ、木の葉の音だ!」いや「風の音だ!」になり「関係の音」に落ち着いた。木の葉だけでも、風だけでも「音」にはなるまい。風は木の葉に出会い、水や電線に出会って音を発する。さわやかな風は木の葉に触れて「さわやかな音」を奏で、強い風は電線に切り裂かれヒュンと悲鳴にも似た音となる。
過ぎし日、風であった私は親と会い、子等と出会い、親戚・知人と触れて音をたてた。
その音は優しさであり、悲しさ辛さであり、時には憎しみでもあった。その憎しみや悲しさ辛さを相手の所為(せい)にしていなかっただろうか。関係のところが観えず一方的に相手のまずさだけで片付けていなかっただろうか。
話は横道にそれるが昨年顕著になった世界的経済不況、その影響を受けての世相で気になったのが、会社を解雇(雇用契約の終了)即路上生活との記事である。会社が用意した宿舎であれば雇用契約が解除されれば立ち退かざるを得まい。ここまでは分かる。路上生活が結びつかない。短慮な私は彼らには親兄弟も親しい友人たちもいなかったのか訝ってしまう。再起を図るまでの仮の居場所はなかったのだろうか。(大方の人は多分緊急避難場所があったのだろうとは思うが。)「そんな時代じゃありませんよ」と言われ、笑われればそれまでのことであるが、だとすれば戦後(太平洋戦争)日本が歩いてきた道に欠陥があったに違いない。
いつの頃からか自分探しだの、自己実現だの、自己決定などという言葉に踊らされ、親密な(ある種の煩わしさ)を切り捨てて、ひたすら自分の裁量のみで生きるのを良しとした、政治(行政)の失策かもしれない。こう書くと「こんな日本に誰がした!」とか「責任者出て来い!」式の自分を被害者の立場に置いて、全てを他罪的な文脈の中で語ろうとするのかと取られるかもしれない。そんな風に語りたいのではない。大方の人が都市型の人間になりたがったのである。
ここ(吹上町花熟里地区)に住んで解ることがあるが、自治会の申し合わせで年数回の共同作業がある。町道の草払い、河川愛護月間(?)とかの堤防の草刈、墓地(いづれ埋葬される)清掃などである。選挙に至っては、自治会で立候補者を推せんしようものなら、自治公民館は選挙事務所と化し、ボランティアではあるが交代で炊き出しなどの手伝いにでる。
私はこれが後進地域で古い因習にとらわれているから、良くないなどと言っているのではない。年寄りで他所者の私はそれほど煩わしいとは思わない。が、聞くところによれば、これらの濃密な関わりを煩わしく感じ、都市部(鹿児島市だろうけ
ど)へ転居する若い人もいるらしい。ついでに大げさに言えば、プライバシーなど無いに等しく、近隣の人々が本人以上に本人を知っている場合もある。それらを煩わしく感じる者は都市を目指した(経済的な問題もあるが)。誰にも干渉されず自分らしさが発揮できるであろう都市型人間になりたかったのである。
閑話休題。煩わしいと思うこと、不快に感じることを極端に避けたいと行動するならば、自分以外の人間と接触しないことを選択するしかあるまい。親や兄弟姉妹などとの関わりすら、自己実現の妨げとなる煩わしい範疇に入るのであろう。
人が人と接触しなければ音は発せられず、ましてや不協和音など生じようがないではないか。「人に迷惑をかけないように生きる」は立派なスローガンではあるが、無理がある。命(人生)は自分ひとりだけでは完結できないようにできている。私が好きな物書きの一人内田樹氏(神戸女学院大学教授)は「不快な隣人と共生することが人を円熟させる」という意味のことを書いている。少々煩わしかろうが、不快であろうが、音の無い世界より、音のある関係が今の私には有り難い。
平成21年夏季号より