特別養護老人ホーム美樹園 | 社会福祉法人南陽会鹿児島 谷山 老人ホーム 特別養護老人ホーム

季刊誌「せおと」-fileNo.031-さくら散る

fileNo.031さくら散る

『さくら散る(逝く)』 平成24年11月12日夕方6時頃、飼猫の「さくら」が逝った。享年(きょうねん)19歳、我が家にやって来て、満18年1ヶ月の命であった。2泊3日の研修を終えて帰宅した11日、前日から容体が思わしくなく起き上がれないと家内が言う。自分の寝床に丸くなったまま、時々悲しげな声をあげる。水を口元に差し出すとピチャピチャと飲む。12日早朝、ガサガサとかなり激しい音と鳴き声で目を覚ますと、四肢をつっぱりケイレンを起こしていた。しばらくなで続けると静かになるが、この後水も受けつけなくなった。頻繁(ひんぱん)に 様子をみていたが、午後6時頃息を引き取った。お棺がわりのダンボール箱に遺体を移し、仏壇の前に安置する。家内が前脚に数珠(じゅず)をかけたと言ったので、よくみると左前脚と左後脚にかけてあった。三人の子どもの家族にFAXを入れて、死亡と通夜を知らせる。夜8時すぎ薩摩川内市に住む長男家族4人が弔問(ちょうもん)に訪れ、通夜は少しばかりにぎやかになった。この長男のところの孫二人、夏実(小5)、亮太(小3)もさくらより遅れて我が家にやってきたのである。

少しばかり「さくら」の一生を振り返ってみたい。18年前の平成6年、娘が高校3年生の秋、明日が誕生日という日に、誕生祝いを問うたところ「ねこ!」と答えたのである。そして翌朝、宅地の一区画向こうの通り、電柱の元でまだ目も開かない子猫が、それはそれはけたたましい声で鳴いていた。これも何かの縁かと思い拾って帰ったものの、あまりの汚さに元に戻した。しかし、前より激しく鳴き立てるので再度連れ帰り牛乳を与えると音を立てて飲んだ。夕方までは生きてはいないだろうと言って勤めに行き、夕刻戻るとまだ存命していたので、近くのペットショップで哺乳瓶を買い育てることにしたのであった。白黒の斑(ぶち)のメスで夜は家内の肩あたりに止まるようにして眠った。秋のコスモス(秋桜)の咲く頃であったから「さくら」と命名された。きれいな毛並みに育ち、時々やってくる行商のおばさんの「あんたはよかとこいに拾われたね」の言葉は飼い主にも心地良かった。当時坂之上に住まっていたが、さくらが5歳になった平成11年11月長男が結婚する。前年から勤務地が離島であり、次男、娘も別に居を構えていたので、我が家は夫婦とさくらだけの暮らしとなった。もっとも隣家に住む家内の母の介護は、すでに始まっていた。さくらがもうじき7歳になろうとする平成13年夏、我が家の初孫夏実が誕生する。

平成15年は忙しい年であった。3月私が前職を定年退職する、4月家内の母が亡くなる、8月末には現在地に転居、その6日後には二人目の孫となる亮太が誕生した。吹上へ転居した翌年の平成16年4月、縁あって美樹園へお世話になることとなる。9歳になるさくらは、新築の家が気に入ったようで、柱、戸、障子の桟、居間の床(ゆか)板などいたるところで爪(つめ)を研ぎまくりよく怒られたが、彼女の全盛期だった気がする。

 美樹園にお世話になって2年目の平成18年1月次男が結婚、5月には娘も結婚して家族が増えた。それから2年、平成20年1月家内が肺炎で入院、13歳のさくらとの二人暮らしの時を経て、3月美樹園から暇(ひま)を頂く。退職の余韻に浸る間もなく、娘の長男、三人目の孫となる信(しん)が誕生してさらに賑やかになる。平成22年4月娘に女の子が生まれ、4人目の孫直(なお)となる。また、7月には次男にも待望の男の子を授かり、5人目の孫優(ゆう)と続いた。この年の秋さくらも16歳の誕生日を迎えたが、めっきり衰えが目立ち始め、17歳の後半頃からトイレ近くでのおもらしもあり、老々介護だと笑ったものである。思えば3人の子供の結婚と5人の孫の誕生を見届けたさくらは、敷地の花桃の木の下に眠り、法名 釋桜里(しゃくおうり)、南無阿弥陀仏の墓標が立つ。

昨今、子供の世界ではいじめ問題、大人は自殺率の高止(たかど)まりが取沙汰(とりざた)され「命の尊厳(そんげん)」「命の教育」が声高に叫ばれる。たった一度きりの人生とか一つきりの命とか言われるが空々しく聞こえるのはなぜだろう。お互い死にたくないよね、だけの命の尊さであるなら命の尊厳が泣くというものだ。そもそも自分の命などと所有格で語られる世界では命は大事にもならず、尊厳も保てまい。個人の命よりもっと尊いものが人間にはあるということを知った人、そのために私は死んでいけるというものに出偶(であ)った人が、本当の命を知った人である。誤解してほしくないが、「国の為に命を捧げる」式の現世的・政治的な話しではない。我々の命を命たらしめている大きないのちへの覚醒(かくすい)のことである。道元禅師(どうげんぜんじ)の言葉を借りれば「この生死(しょうじ)は仏の御いのちなり」である。

  『すぐそこを 白雲の行く 年賀かな』 あきら

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