『そういえば次男は結婚を機にここに転籍したと後から聞かされたと思い出した。家内はかなり前から本籍を移すことを望んでいる。理由は極めて簡単で夫亡き後の戸籍抹消手続きが楽だという。』
ここ(吹上町)に居を構えて間もなく十五年を迎える。美樹園にご縁を頂く前の年、平成十五年夏のことであった。
生涯で二番目に永い居住地となる。一番永く暮したのは生れ在所で高校卒業までの十八年、後はあっちこっちほっつき歩いて数ヶ月から五年位で転居した。住んだ土地にはそれなりの愛着はあったものの懐かしく思い出すのは生れ在所の山・川・人である。戸籍の本籍地も旧薩摩群高城村[現薩摩川内市]のまゝである。
最近になって長男が本籍を現住所の鹿児島市へ移すと連絡してきた。そういえば次男は結婚を機にここに転籍したと後から聞かされたと思い出した。家内はかなり前から本籍を移すことを望んでいる。理由は極めて簡単で夫亡き後の戸籍抹消手続きが楽だという。
ごく当り前のことだけれども私の故郷は私の故郷であって息子達の故郷ではなく、ましてや家内の故郷でもない。私の本籍など見知らぬ土地で愛着などあろう筈がない。
戸籍の本籍地を移し替えたところで私の故郷が引つ越すわけでも消滅するのでもないのに転籍作業は進展していない[地理的な故郷は限界集落とかで消滅の危機にある]。
一月三十日の夕刻、奈良県吉野郡の大峯 顕(あきら)先生の訃報が都城市の知人から届いた。通夜は二月二日葬儀は翌三日、会場は奈良県橿原(かしはら)市、セレモニーホール橿原だという。すぐ寺の住職へ電話して二日の大阪行の航空券と宿の手配を依頼する【彼には親しい旅行業者がいる】。住職は一月(ひとつき)前奥さまを亡くしているので一緒に行こうとは言い出せなかった。
二月一日南日本新聞に先生の顔写真つきの死亡記事が掲載された。宗教哲学者、俳人、大阪大学名誉教授、八十八歳、俳人「大峯あきら」の名で活動、毎日俳壇選者、蛇笏(だこつ)賞受賞、ドイツ哲学者フィヒテの研究で知られ、奈良県大淀町の専立寺(浄土真宗本願寺派)住職も務めたとあった。【お!! 俺はなんとすごい人と知り合いだったことか、とミーハーな私は心秘そかに喝采した。】
先生との交流は美樹園にお世話になる頃に始まるが、十年にも及ぶ霧島「旅行人山荘」での二泊三日の「宗教哲学講座」や我が常楽寺での年二回の法要の講師を勤めて頂くなど馨咳(けいがい)に接する機会も多く、私の晩年を殊(こと)の外(ほか)深く豊かにしてくださったとの思いがある。
ある時ホテルの鷄飯が少々おそまつだったので「本物の鶏飯をごちそうします」と見栄を切って自宅にお招きしたこと、ホテルの温泉で背中を流したこと、そしてその時々に行き交った「ことば」が蘇って涙になると同時に暖い気に包まれる。またある法座の話に触れて「裟婆は浄土に包まれているが新鮮に聞えました。」と伝えたところ「僕はいつもそれしか語っていないよ!」と怒ったように返えされて恥しかった思い出もある。
二月二日朝、一緒に行くことになった住職の迎えの車で鹿児島空港へ向う。この日の霧島山は積雪で白く輝いていた。神戸の知人の指示通り伊丹空港から天王寺駅へそこから近鉄吉野線の特急で橿原神宮駅へとなるが、旅なれないので乗車券は買い間違える、予約してあったビジネスホテル探しにも四苦八苦する。
通夜、葬儀は大ホールニつを使用するほど大きく受付も大学関係、俳句関係、寺院関係、出版関係、町内会(もっとあった気もする)と窓口の多さに生前の活躍が偲ばれた。香典は町内会が申し合せとやらで受取ってもらえない【この界隈ではごく一般的らしい】。
棺の中の先生の顔は穏やかで昨年秋お会したそのまんまの感じで右肩に池田晶子さんとの対談本「君自身に還れ」が置いてあった。
先生の身体は地元の医科大学へ献体されるとのことであったが生前の口ぐせは「人は死ない、命が形式[姿]を変えるのだ」であった。「人間は皆、身体だけでなく魂もしくは心というものを持っていて、肉眼では見たことはないけれども、心というもので動いています。」とも述べておられる【命ひとつ 1生きるヒント、小学館新書】。
人はどこから来て、どこへ行くのかと問われればあの世から来て、あの世へ行く 【還る】と答えても間違っていない気がする。人が身体と魂【心】で成り立っているのなら、身体のふるさとは生れ育った土地であろうが魂のふるさとはあの世ということになる。
あの世を仏教では浄土という。「故郷へ錦を飾る」とはこの世の立身出世のことであるが、魂の世界でなら「この世で魂の世話【ソクラテス】」をしてレベルアップして浄土へ還ることを意味する、かも。
大峯先生にお会いできるのだからあの世【浄土】も悪くなさそうである。
今朝引きし 鶴にまじりて 行きたるか あきら
平成30年春季号より