『ここから昼食抜きでの契約手続きがおよそ3時間続き表題の「ヘイ、シリー!」をアイホンに向って叫ぶのである。家内は音声登録するのに恥も外聞もなく「ヘイ、シリー」と十数回も叫ぶ私の姿に笑いを堪えるのに必死であった。』
話は少し前に遡(さかのぼ)る。
2月末日の日曜日の午後、久しぶりに仲間の3人が集った。阿久根市の牛之浜さん、薩摩川内市の浜田さんに地元の住職である。話しが最近入手した私のスマホに及んだところで唯ースマホ所持者の牛之浜さん「ラインしましょうね」などと私のアイホンをいじり始めた。しばらくするとホーム画面がほぼ真っ暗になった。家内を含めて他の面々はガラケー所持者で住職に至っては携帯のメールすらうまく扱えないのである。
皆でワイワイ言うだけで何の解決策もでずそのまま放置される。
皆が帰った後、長男へ助けを求めると日曜日とあってすぐ電話があり「あれをこうして、これをああしろ」と指示があるが、あれもこれも分からない。業を煮やして家までやって来て説明しながらチャッチャと修復して帰り際「ま、父さんゆっくりね」とのたもうた。老いては子に従え。
そもそも何故にこれほどストレスフルなスマホなどに手を出す羽目になったのか。
話は昨年末に遡る。
12月の中頃生れ在所の次姉から声がかかりもち米を頂きに出かけた。米も野菜も焼酎も積み込んだところで庭先にあった鉢を指して「よかったら持っていけ」という。由来を訊ねると兄から「寒ラン」だといわれたもらい物とのことであった。小ぎれいな鉢で育てられていてすでに花芽もついている。頂いて帰った。
「寒ラン」には聊(いささ)か疑問があったので住職の来訪を待って尋ねた。「キンリョウへン」か「キンリュウヘン」という名で日本ミツバチを寄せ集めるのに重宝されるランとの見立てであった。
年末の餅つきにやって来た長男へ「キンリョウヘン」か「キンリュウヘン」か調ベてとたのむとスマホを取り出し撮影して以下の説明文ときれいなランの写真を観せられた。
金稜辺(キンリョウヘン) 中国原種・ラン科シュンラン属の一種である。日本には文明年間(1469 ~1487)に渡来したとされる。明治時代にブームが起り個体選別が行なわれ、さまざまな品種が選別増殖され現在に至っている。
おまけに価格や育て方なども克明に解説されていた。
驚愕した。
この時スマホ購入が頭をよぎった気がする。
年が明け長男から「替える気があれば格安な物を調べておこうか」と連絡があったので「うん、たのむよ」になったのである。何しろその頃使用してた携帯電話は美樹園在職中に購入したもので近隣のドコモ店のスタッフに「余程相性がいいのでしようね」と言わしめるほどの年代物であった。
2月の最初の日曜日、長男から「無料(ただ)で交換できる機種が見つかった。都合がよければ迎えに行く」と連絡があり鹿児島市のケーズ電器店へ昼前に到着する。
ここから昼食抜きでの契約手続きがおよそ3時間続き表題の「ヘイ、シリー!」をアイホンに向って叫ぶのである。
あわよくば自分もスマホに換えようかと同道した家内は音声登録するのに恥も外聞もなく「ヘイ、シリー」と十数回も叫ぶ私の姿に笑いを堪えるのに必死であった。
この一件でスマホへの乗り換えを断念したようである。
話はずっと昔に遡る。
私が小学校高学年の頃、学校の近くに農協の支所がありそこに公衆電話が設置されていた。赤電話である。遠くへ働きに行っている子や出稼ぎの父親への緊急連絡に使用されていたのであろう。ベルを鳴らして交換手を呼び相手先の番号を告げて待つのである。通話申込みには「普通」「急行」「特急」の別があって料金も2倍、3倍になるのである。普通通話は数時間も待たされることもあったような気がする。固定電話が一般家庭(と言っても我が家のことだけど)に普及するのは、それからずっと後のことである。
そして固定から携帯へ、携帯からスマホへと通信器機は格段に進歩した。
「ああ、あれから四十年」ときみまろさんは叫び、行きつけの散髪屋さんは「ウチの娘なんかスマホー本で旅に行きますよ」と驚いている。
人は賢く豊かになったのだろうか?
「この人生は何のためであったか」という問いを忘れた豊かさは砂上の楼閣のような気がしてならない。
その砂上の楼閣をスマホで検索した。
令和3年春季号より