特別養護老人ホーム美樹園 | 社会福祉法人南陽会鹿児島 谷山 老人ホーム 特別養護老人ホーム

季刊誌「せおと」-fileNo.033-自分探しは、白一色の中で白を探すようなものかもしれない

fileNo.033自分探しは、白一色の中で白を探すようなものかもしれない

『日々の暮らしの中で』 5月26日朝から強い東風が吹いた。前日も風は東からで吹上の我家にも桜島の灰が降った。その風で若い緑の葉っぱが庭に山のように降りそそいだ。初夏の木の緑がなぜ?これ程までに散るのかと、その樹を見上げて納得した。

樹は敷地の東側、隣接地に生えている「せんだん」である。あの学校の校庭によくある樹だ。我家の屋根に覆おおい被かぶさるように枝をのばし、紅葉の季節には大量の落葉が庭に落ちる。いつの頃からかこの樹を枯らす方法を考えるようになった。殺意が生じたのである。

根元から切り倒すにはクレーン車を利用しないと屋根を壊す心配がある。ドリルで穴をあけ農薬(除草剤)を注入する手もあると聞いたが、毒殺は私の好みではない。結局樹の外皮を30㎝位の幅でぐるっと一周はぎ取って木質をむき出しにする。こうすれば水分が上がらなくなり立枯れする、と予測した。

昨年の秋、全ての葉が落ちるのを見届けて実行した。私の思惑では樹が冬眠している間に皮をはぎ取ってしまうと、春、芽を出すことなく枯れる。つまり眠ったまま死が迎えられる、安楽死を選択したつもりであった。

しかし、春が訪れて木々が芽を出し始めるとこの樹も普通に芽をふき、小さな紫色の花まで咲かせてしまった。空いっぱいに拡がった枝の葉っぱが、まるで緑の吹雪のように舞いあがり何千何万という葉を27日まで落とし続け、秋の落葉樹みたいになった。胸が痛んだ。

6月5日の朝、昨夜家内と打合せたように吹上町和田の物産館「ひまわり館」へ向かう。車で待っていると今朝少し出荷があったけれども、すぐに売れたらしいと言う。今日の紫蘇探しの旅はここから始まって、南さつま市の「金峰木花館」、吹上へ戻って伊作峠へ向う途中にある3軒の農産物販売所をまわって、谷山の「七ツ島鹿児島ふるさと物産館」まで巡るつもりである。数年前、散々探し歩いてとうとう手に入らず、漬け込んである市販の紫蘇で梅干しの色付けをした苦い過去(?)がある。それがトラウマ(?)になっているのかどうか、この季節になると悲愴な覚悟で探し歩いている(少々オーバーかな?)。

毎年収穫する梅は敷地の北側、家の真裏に生えている。大きな声では言えないが、生えている土地は私のものではない。では何故にこの梅の実を毎年平気で収穫するのか。理由が二つある。ひとつはほとんどの実が私の土地の上空で実っていること。二つ目はこの土地を譲ってくれた前の地主から口頭(?)による譲渡である。つまり「この梅ん木はあたいがもんじゃなかどん、あたいが昔から採ってきた。こんだ、おまんさあがもろやればよかとお」である。根拠が希薄だという人もあるかもしれないが、もう10年そうしてきて、今年も15㎏ほど頂いたのだ。あ!紫蘇の話に戻る。梅はタダでも紫蘇は買わねばならない。ひまわり館から道の駅「金峰木花館」へ向かい、駐車場へ入る寸前店頭にある紫蘇を発見して「あった!」と叫んだ。

店先にかなりの量が置いてある。歓んで選び始めたところへおじさん(失礼!同年輩か)が寄ってきて、私の紫蘇を買わないかと言う。縮緬ちりめんの紫蘇で香りもよく強く改良された物だと言う。軽トラまでついて行くと20束くらい積んであるように見えた。15束あるが1束140円でいい、15㎏の梅なら10束もあればいいよと良心的であったが、店頭の物より安いこともあって、全部買い占めた。午後は葉の摘みとりと塩もみでほぼ半日の時間をとられ、体力的にもヘトヘトであった。

こんな日暮しの中で「ふっ」と自分の内側に目が向き、残された時間に思いが及ぶ瞬間ときがある。碧あおい空や心落着く庭先のみどりをいつまで見られるのであろうか、と名残惜しくも愛いと惜しくも思えるのだ。日々の暮しや見慣れた風景が、わけもなく新鮮に感じられる瞬間でもある。

社会(裟婆)の中で暮しておれば、昨日があって今日があり、今日があって明日があるのは当たり前である。そうでなければ社会生活は営めない。けれども生かされている者(私)の実感としてはいま(瞬間)しかないのだ。

生れたのも私の意志ではなかった。今ここに生きて(生かされて)いるのも私の意志を超える。生れてからこのかた70年の歴史を直線の上に並べて「思えば遠くへ来たもんだ」的な見方は、学校で習う歴史であって、私のいのちそのものの歴史ではない。私は「今」というところで足踏みをしていただけのことだ。父も母も祖父も祖母も、私の過去として在あるのではない。今の私の内奥ないおうにある。

「自分探し」という言葉がある。自分に見える自分、他人に見えているのであろう自分、それらをいくら探し回っても自分は見つかるまい。それは白一色の中で白を探し、黒一色の中で黒を探すに等しい。自分(人)を超える大いなる存在に照らされて自分は見える。

その大いなる存在を神とよんだり、阿弥陀仏と名づけたりしたのは、遠い遠い昔の私達の祖先である。私はこの祖先のいのちの感じ方・観みえ方は、今でも少しも色褪いろあせていないと思うがいかがであろうか。

      『梅干しの 所狭しと 法の庭』  あきら

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