季刊誌「せおと」特別養護老人ホーム美樹園 | 社会福祉法人南陽会
美樹園では年4回 季刊誌『せおと』を発行しています。
その中からご好評を頂いているコラム 『花熟里の郷から』をご紹介していきます。
筆者紹介
廣瀬 正人ひろせ まさと
昭和17年生。薩摩川内市出身。
県行政において福祉畑一筋に歩む。縁あって美樹園事務長として着任。
当園季刊誌「せおと」に掲載したコラムが利用者、ご家族、民生委員の間で評判になる。
当園では、多くの職員のよき相談役としてもその心のよりどころとなる。
その後、副園長を経て、現在は当園監事を務めるかたわら、職員の倫理の講師も兼ねる。
その温厚な人柄と、等身大の語り口は、聴衆を飽きさせない。
カウンセリング(ロジャーズ派)を学習し、年数回のワークショップを共催する。
念仏者(仏弟子)。浄土真宗本願寺派寺院の門徒総代。
現在、終活中(ご本人 曰く)。
好きなテレビ番組:「吉本新喜劇」「笑ってコラえて!」「バラエティー笑百科」
好きな焼酎:「黒伊佐錦」
愛妻と,日置市吹上町花熟里に在住。
- fileNo.76蟪蛄(けいこ)春秋を識らず
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【墓じまい】 蟪蛄とはセミのことで夏生れて夏死ぬセミは夏以外の季節を知らず、そもそも夏も分からないという意である。現世に生れ現世で死ぬ私には前世も来世も分からない。 今年の夏はほんとうに暑かった。…続きを読む
- fileNo.75ざっくり言えば仏教は人間に生れてよかったなあと喜ベる教えなのです。決して葬儀の道具ではありません。
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【親ガチャ子ガチャ】私はとか俺がとか人は自分を主語にして語るが、今ここにいるこの「私」の誕生は私の意志に先だつ。ある時気がついたらそこにいたのである。その気がついた存在を私と呼んだのだが中味は正体不明…続きを読む
- fileNo.74家族は四人になったけど五人だよね
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【大空という浄土】親は会葬御礼に「大空へと旅立ちました」と書き記したが、宗派用語なら「浄土へ還った」と言いたいところである。花びらは散っても 花は散らない 形は滅びても 人は死なぬ 金子大榮「意訳歎異…続きを読む
- fileNo.73自分の意見にこだわり、疑いの心の強い者が住む常に争いの絶えない世界を修羅(しゅら)といいます。
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【阿修羅(あしゅら)道】阿修羅は古代インドの神の一族とされ神々に戦いを挑む悪神であり、人間以下の存在とされる。今、世界には阿修羅が満ち満ちているようで悲しい。 師走の初めになると東京に住む同い年の…続きを読む
- fileNo.72このよは自分をさがしに来たところ このよは自分を見に来たところ
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【後生(ごしょう)の一大事】この自分は社会の中の自分ではなく宇宙の中の自分なのではないか。この自分探しは自分の力だけでは無理なのだと先達は教える。そこに宗教の出番があると思うのである。仏教は葬儀のため…続きを読む
- fileNo.71父母未生(ぶもみしょう)以前の命
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『この世に存在する生き物は「命」が着ぐるみを着ているようなものである。正体不明の命が象は象の蟻は蟻の着ぐるみを着て存在している。人もその人なりの着ぐるみなのだ。いづれこの着ぐるみは返納してもとの「命」…続きを読む
- fileNo.70夜半(よわ)の桜
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『家康の名言の一つに「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐベからず。」というのがある。重荷を負うた人生と言われれば反論はできないが、重荷をおろして歩きたい。いや、歩きたかっとチャチャを入れ…続きを読む
- fileNo.69生活と人生
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『顔馴染みの女社長が通電テストの為に妻に「ドライヤーはある?」と問うた。妻が答える「プラスですかマイナスですか?」。女社長「私が訊ねているのはドライヤー!あなたが言っているのはドライバー」。コントのよ…続きを読む
- fileNo.68バイリンガル
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『貧者ゴロは本来「貧乏人」つまり経済的弱者を意味するのであろうが、わが家では精神的貧しさ・心の貧しさを意味する。戦争の恐怖を利用して声高に言い募り、人の弱みにつけ込むやり口が貧者ゴロなのである。』 …続きを読む
- fileNo.67人間(ひと)から仏人(ひと)へ
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『「仏法は無我にて候(そうろう)」という言葉もある。あの人は我が強いというあの我である。我が時として自尊心、優越心、体面、意地、誇りなどに姿を変える。人が戦いを止めるほど進歩するには後どれほどの時間を…続きを読む
- fileNo.66年賀状
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『ここからは彼の一人舞台である。脱ぐは踊るは大はしゃぎである。踊り子が踊るのではない、男の客が踊るのである。珍事である。そこへもう一人男性客が加わり大盛り上りであった。今もって謎なのはこのドンチャン騒…続きを読む
- fileNo.65言葉は人なり
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『話すことも聞くことも覚えることも思い出すことも言葉あってのことである。考えて言葉にすると言うが言葉で考えるのである。言葉がなかったら喜ぶことも悲しむことも悩むこともできない。人間のあらゆる活動は言葉…続きを読む
- fileNo.64自分の感受性くらい
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『駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ 「ばか者よ!」と自分で自分を叱り飛ばしてすっくと立っていたいなあ、と思うけれどもなか…続きを読む
- fileNo.63ヘイ、シリー! Hey Siri
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『ここから昼食抜きでの契約手続きがおよそ3時間続き表題の「ヘイ、シリー!」をアイホンに向って叫ぶのである。家内は音声登録するのに恥も外聞もなく「ヘイ、シリー」と十数回も叫ぶ私の姿に笑いを堪えるのに必死…続きを読む
- fileNo.62令和二年を送るの辞
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『「言葉の純度」が高いとは語り手の「心情」と「言葉」のづれの少なさをいう。言葉は純度が高ければ高いほど人へ伝わりやすいのだ。まったくずれているのを「嘘」(心とまるで違う)という。政治家の皆さ~ん、純度…続きを読む
- fileNo.61宿縁(しゅくえん)【昔のたより】
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『喜び・楽しさには辛さ・悲しさが、優しさ・暖かさには虚しさ・寂しさが織り込まれて人生がより美しく鮮やかになる。慈しみ合う出遇いもさることながら憎しみ合うのにもよくよくのご縁があるのであろう。』 「…続きを読む
- fileNo.60王舎城(おうしゃじょう)の悲劇 Ⅱ
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『ある山の中で修業している仙人が三年後に死んであなたの子に生れる、と言う。王はその三年が待ち切れず使いの者を出し「王の子に生れる運命だから早く死んでくれ!」とたのむ。仙人「今死ぬのは嫌だ!」。復命を聞…続きを読む
- fileNo.59王舎城(おうしゃじょう)の悲劇 Ⅰ
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『私に何の罪があればあんな悪い子が生れたのでしょうか。太子は何の因縁であの悪人ダイバダッタと親族なんですか!」と喰ってかかるのである。いつの世でも人は窮地に立つと誰かのせいにしたいものらしい。』 …続きを読む
- fileNo.58まきみずさんって 誰?!
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『出かける前々日に家内へメールが届き今回は「牧水生家」「百済の里」「鶴富屋敷」「通潤橋」を見学しましょうと書かれてあったらしい。それを声高に読みながら「まきみずさんて誰?」と聞いた。それって「ぼくすい…続きを読む
- fileNo.57人間(ひと)と生まれて
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『言葉の意味など大きくなって知る。人は言葉で育つとはこういうことをいうのてあろう。優しい言葉が優しい心情を育み、悲しいという言葉が悲しいを醸し出す。言葉が先なのだ。そして人生が深く豊かになる。』 …続きを読む
- fileNo.56平成最後の旅
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『かずら橋は大歩危駅から二つ三つ山を越えた山奥で平家の落人伝説がもっともと思われた。「祖谷のかずら橋」は入場料550円でびっくりしたが人数制限が無いのにもっと驚く。恐る恐る渡りながらよく観ると太いワイ…続きを読む
- fileNo.55もう一つの物差し
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『がしかし、誰よりも速く走り遠くへ跳ぶ賢い等々は人間の持つある一部分であって全体ではない。人には比べても比べても比べられない部分が残る。その比べられない存在を「尊厳」とか「天上天下唯我独尊」とかいうの…続きを読む
- fileNo.54さらば平成
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『われわれが有限【人間】である時間は誕生から死までのせいぜい百年である。その間に出遇(であ)う人の数も多くはなく、出遇う関係も夫婦、親子、兄弟、友人知人とさまざまである。だからこそ出遇つた人は大事にせ…続きを読む
- fileNo.53ないしょばなし
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『今を語るには昨日と明日がなくてはならない。今は今だけでは成り立たない。であればこの世を生きるには前世と来世が必要となる。今を心安らかに生きるには来世があった方がいいように思えるが、いかがであろうか。…続きを読む
- fileNo.52言葉の純度
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『では人の言うことが真実だ、あるいは本当だと聞く人はどこで判断するのであろうか。私は言葉の純度にあると思う。言葉の純度とは語られる言葉と語られる時の心情の一致度にある。語られる言葉が心情に近ければ近い…続きを読む
- fileNo.51ふるさと
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『そういえば次男は結婚を機にここに転籍したと後から聞かされたと思い出した。家内はかなり前から本籍を移すことを望んでいる。理由は極めて簡単で夫亡き後の戸籍抹消手続きが楽だという。』 ここ(吹上町)に…続きを読む
- fileNo.50万劫の初事(まんごうのはつごと)
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『多くの別れと書いたが、父との別れも母とのそれも一回切りである。父と二度死に別れた人はなく、母と再三別れた人もあるまい。物心ついてから何十回となく葬儀に参列したが、柩(ひつぎ)の中に同じ人が入っていた…続きを読む
- fileNo.49急ぐな!! いのちが尊いのは、一度きりの人生だからじゃないよ。
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『生きる覚悟』 九月一日、突然涼しさが訪れた。正確には八月三十一日の夜だが1ヶ月以上続けていた就寝時の冷房を止めることができた。 今年の夏も暑かった。今年もと書いて、去年の夏が思い出された。昨年の夏休…続きを読む
- fileNo.48また、堂々巡り。あ~ 面倒くさい!
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『いのちの不思議』 さわやかだった五月、連休の終りに一族郎党20人近くが集まって飲んだ。都合よく高知のカツオのタタキが届けられておりおいしくいただいた。その折「目に青葉 山ほととぎす 初ガツオ」が話題…続きを読む
- fileNo.47「春が来たよ。」 そのことばに心までポカポカしてくるのはなぜだろう。
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『春が来た』 せおとの原稿を書かねばと思い立つのは発行日の前々月の中頃である。もうそろそろ手をつけなければと気になった2月19日東側の自木蓮が一輪咲いていた。前庭の自梅は終りに近く南隅のスモモも自く色…続きを読む
- fileNo.46柿は熟して落ちる前が一番旨い? のかもしれない。ひとも・・・?
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『秋の京都』 十一月中旬、京都へ2泊3日の旅をした。目的は本山(西本願寺)への団体参拝である。寺の団体であるから日頃顔をつき合せている門信徒や住職等々総勢30名強で口達者が多く賑やかだ。空港から旅行会…続きを読む
- fileNo.45ひとの幸・不幸を語る資格が、私たちにはあるのだろうか?
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『ひとの分際(ぶんざい)』 今年の8月は殊更(ことさら)暑かった。その上雨の少なさに庭の草木を見ながら胸が痛む思いであったが、庭に水を撒く財力と体力と気力が無くりゅうのひげをかなり枯らしてしまった。 …続きを読む
- fileNo.44「見えるものがすべて、証明できるものがすべて」と教えられてきたけれど。
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『二つの世界』 九州南部が梅雨入りしたものと思われると気象台が発表した翌日、居住地の吹上町花熟里地区自治会は恒例の道路清掃と集落の北側を東から西へ流れる小野川堤防左岸の草払い奉仕作業であった。 午前八…続きを読む
- fileNo.43「ママ」ということばと共に、母親が目の前にありありと見えている。子供にとって「ことば」は記号じゃない。
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『ことばの源流』 少し寒さが戻った3月中旬裏庭は春の落葉が始まっていた。前庭はスモモが花を終え白っぽい緑色の新芽に変っている。この時節の花は鮮やかなピンクの木瓜(ぼけ)の花、紫色の岩ツツジである。木瓜…続きを読む
- fileNo.42上品。下品。「品」ってなんだか知っていますか?
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『人間からの進化』 師走1日夕刻、テレビのニュース番組を聴いて「ん!」という感じの言葉に会った。言葉だけ書けば『品(ひん)』なのだけれど、経緯(いきさつ)はこうである。 11月24日シリアとトルコの国…続きを読む
- fileNo.41「この人に出会えてよかった」そう思える人がいますか?
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『いのちいのち』 この8月2日、大阪市の知り合いから一通の封書が届いた。 タイトルに『大峯 顯先生を囲んでの食事会のご案内』とあり、日時8月27日17時30分、場所大阪市阿倍野区・天王寺ホテルとあっ…続きを読む
- fileNo.040人はなぜ道に迷うのだろうか? 人生の目的を見失ったから・・・?
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『帰去来(ききょらい)の旅』 間もなく終戦(敗戦)記念日が訪れる。今年は戦後70年という節目の年とかで新聞やテレビ等で特集が組まれたりしている。 また、総理大臣談話がどうのこうのと国内外からいろいろ注…続きを読む
- fileNo.039人は 無いものが見えて、有るものが見えない
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『永遠の今』 私の生れ在所は薩摩川内市の北部、阿久根市境に近い山奥で、今では超過疎地域、ほぼ限界集落である。昭和20年代の終り頃、親父達の間で小型水力発電所建設の話しが持ち上がった。参加総数6戸で2戸…続きを読む
- fileNo.038巡る(めぐる)命
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『巡る(めぐる)命』 この文章を書き始めた12月初旬、我が家の楓(もみじ)は大方紅葉して散り果てた。山ぼうしも2本の柿の木もすでに葉は無い。 そういえば植えてから10年経つ「鬼ぐるみ」が今年初めて実…続きを読む
- fileNo.037幾億の いのちの末に 生まれたる 二つのいのち そと並びけり
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『「花子とアン」と鹿児島』 南日本新聞の文化欄に南九州文学の小径(こみち)というシリーズものがある。去る6月1日の記事は、薩摩川内市川内まごころ文学館学芸員財部智美さん執筆で「柳原白蓮と鹿児島」の見出…続きを読む
- fileNo.036心情とずれない言葉で生きたい
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『言霊(ことだま)』 第22回冬季五輪ソチ大会は、日本時間の2月26日未明に閉幕した。日本選手団は歴代2位、海外では最多の8個のメダルを獲得した。また、日本の冬季五輪メダリストの最年少(平野 歩夢・銀…続きを読む
- fileNo.035いのちの相(すがた)
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『いのちの相(すがた)』 昨年の10月初め、電車の踏み切り内に倒れていた老人を助けようと遮断機の下りている中に入り、老人を助けて自分ははねられて亡くなった40歳独身女性が新聞・テレビで話題になった。 …続きを読む
- fileNo.034その時、その時全能力で選択して決めてきた。今、振り返ると・・・
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『平成25年 夏』 8月25日夜から降り出した雨は、26日の早朝には雷を伴って時に激しく降った。久しぶりの事でホッとと同時に心地良かった。 それにしても今夏の暑さと雨の少なさにはかなり閉口した。庭に植…続きを読む
- fileNo.033自分探しは、白一色の中で白を探すようなものかもしれない
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『日々の暮らしの中で』 5月26日朝から強い東風が吹いた。前日も風は東からで吹上の我家にも桜島の灰が降った。その風で若い緑の葉っぱが庭に山のように降りそそいだ。初夏の木の緑がなぜ?これ程までに散るのか…続きを読む
- fileNo.032時間という津波
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『時間という津波』 昨年9月下旬、不覚(?)にも右足のアキレス腱を切った。切ったというよりも切れたのだけども、その時は捻挫くらいの受け止めであった。出身小学校の運動会での出来事である。以前この「せおと…続きを読む
- fileNo.031さくら散る
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『さくら散る(逝く)』 平成24年11月12日夕方6時頃、飼猫の「さくら」が逝った。享年(きょうねん)19歳、我が家にやって来て、満18年1ヶ月の命であった。2泊3日の研修を終えて帰宅した11日、前日…続きを読む
- fileNo.030ことばの力
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『ことばの力』 「大変失礼な物言いではあるが」と前置きして、その講師は「最近の年寄りには深みがなくなった」と語り始められた。 「虫干おいろぼし法要(真宗寺院で行われる重要な法要の一つ)」でのことであ…続きを読む
- fileNo.029ほとけのまなざし
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『ほとけのまなざし』 今朝(6月9日)隣りの老婦人が、ビワを手みやげにカボチャの雄花が欲しいとやってこられた。昨日も家内の同級生がやって来てカボチャの話になり、私が雌花は咲くが受粉がうまくいかないのか…続きを読む
- fileNo.028花が咲き草木が芽ぶくのを見て、見えない「春」を感じる。
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『花びらは散っても』 3月2日、雨時おり雷。 やや西よりに開いた南側の居間でコタツに入って庭を眺めると、ほぼ中央にしだれ紅梅、左側に庭木用に仕立てられた白梅、その更に左側に八重咲きの椿、その右奥に隣家…続きを読む
- fileNo.027温故知新
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『温故知新』 朝5時25分集合・30分出発は「年寄りは朝が早い」にしても早い。11月13日、京都本願寺での親鸞聖人(しんらんしょうにん)750回大遠忌法要(だいおんきほうよう)への団体参拝出発であった…続きを読む
- fileNo.026終活(しゅうかつ)
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『終活(しゅうかつ)』 さきの8月30日、生れ在所の隣町に住む父方の叔父が老人会長をやっているという地域の老人会の会合によばれて、一時間余りお話しをする機会があった。そもそも一昨年の秋、父の50回忌法…続きを読む
- fileNo.025想定外は責任逃れの言葉?
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『生死一如(しょうじいちにょ)』 娘が間もなく3歳になろうとする息子を連れて里帰りしたのは、春の彼岸入りの18日で、東日本大震災の発生から1週間目のことであった。第2子の出産予定日が4月6日とのことで…続きを読む
- fileNo.024水平の時間、垂直の時間
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『垂直の時節(とき)』 この3月1日、出身高校の卒業50周年記念同窓会なる催しに参加した。開催する旨の連絡は昨年の夏頃からあり、実行委員だよりも何回か届けられていた。以前卒業30周年同窓会もあり、その…続きを読む
- fileNo.023値遭
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『値遭(であい)』 自分たちが主催する第63回カウンセリング研修会は、平成22年11月20日から22日まで北海道は支笏湖温泉のホテルで開催した(今回は2泊3日、通常は3泊4日)。少し歴史を語ると、この…続きを読む
- fileNo.022知足
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『知足』 昔ばなし(思い出)を語るようになると年寄りだ、と言われるのを承知の上で(年寄りのどこが悪いと毒づきつつ)、今回も語り(騙り)を進めたい。考えてみれば齢を重ねると当然未来のことより過去が多くな…続きを読む
- fileNo.021宗教心
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『宗教心』 仏壇を買おう!なぜ、そのような思いに至ったのか、今ではよく思い出せない。2番目の子が生まれて間もなくの頃であった。私は次男であるから仏壇に置く親の位牌があったわけではない。特に神や仏にすが…続きを読む
- fileNo.020いのち ひとつ
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『いのち ひとつ』 川の右岸左岸は今でも迷う。せおと28号(前号)の原稿を仕上げた後、生れ在所の思い出でぜひ書きたいことが浮んできた。 28号に書いた生家は高城川の右岸なのか左岸なのか。広辞苑で確かめ…続きを読む
- fileNo.019いのちに終りなく
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『いのちに終りなく』 晩秋の風情は赤く実った柿の実にある。稲の収穫も終り、野山も色づく頃からその存在感が増してくる。食欲の秋は人間に限らないようで、どんぐり類やせんだんやくろがねもちに小型中型の鳥が群…続きを読む
- fileNo.018金を盗んだ人を「あいつは泥棒だ」と語る人がいる。なぜ悪口に聞こえてしまうのだろう。
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『事実を語るな 真実を語れ』 「事実を語るな、真実を語れ」を初めて聞いてから、もう20数年になる。最初聞いた時から、事実と真実とどう違うのか、事実を語ってどこがまずいのかうまく呑み込めずにいる。語った…続きを読む
- fileNo.017「人に迷惑をかけないように生きる」ことは、「無音の世界に生きる」ことなのかもしれない。
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『関係の音』 浜辺というか松林の近くで暮らしていると、さまざまな音に出会う。浜の音は砂と水がザザッと、水と水でザブンザブンであったりする。陸ではさわさわと木の葉がゆらぐ優しい音、ゴウゴウと小枝が飛んで…続きを読む
- fileNo.016「心豊かに育てよう!」 どうやって?
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『言葉の深み』 家内が聞いてきた話しである。ある知人の家に電話があった。「ガス屋ですか」と言うので「いいえ」と切った。間違い電話である。知人はガス屋さんではない。更に数時間して「ガス屋ですか」と再び電…続きを読む
- fileNo.015自己責任とおまかせの世界
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『彼岸花』 中学だったか高校だったか、国語の教科書で「曼珠沙華抱くほどとれど母恋し(中村汀女)」に出会った。記憶は確かではないけれども、母が亡くなった後2番目の姉にこの俳句を話したのだと思う。書いてく…続きを読む
- fileNo.014『願う心、欲う心』
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『終わりのない子育て』 秋葉原無差別殺傷事件の発生は、6月8日午後零時半ごろであった。自己への攻撃(自殺)が他者への攻撃(殺人)へ移行しつつあるのだろうか。氷山の一角という言い方がある。海に浮かぶ氷山…続きを読む
- fileNo.0132046人のリレー
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『人身(にんじん)受け難(がた)しの心』 いま、我が家は嫁いだ娘がお産のため帰省中でにぎやかである。3月末が予定日なのでこの「せおと」が発行される頃には生まれていて、もっとにぎやかなことであろう。男の…続きを読む
- fileNo.012あなたは、それでよろしいのですね
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『良心に訊(き)けの心』 この頃[年を重ねるにつれ]自分が若い頃とった言動をフッと思い出すことが多くなっている。思い出すというより湧いて出る感じである。車の運転中、洗面の途中と場所を選ばない。その度に…続きを読む
- fileNo.011老後は精神的に豊かになるはずなのに?!
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『いのちはことば、ことばはいのちの心』 この頃、魂(たましい)が気になっている。とは言ってもたましいって何ですか、と問われてもうまく言葉にならない。心とか精神とか霊とかに置き換えてもピッタリくる感じが…続きを読む
- fileNo.010命の大切さを「教える」ことができる人はいるのだろうか
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『一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)の心』 17歳の少年による殺人事件があった。実母を殺しその首を切断する。その首をショルダーバックに入れ、それを持って警察に自首したと報道された。…続きを読む
- fileNo.009生き急ぐ毎日に疲れていませんか?
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『蟪蛄春秋(けいこしゅんじゅう)を識(し)らずの心』 美樹園の朝礼の一コマに【朝のひとこと】というのがある。職員が交代で思うこと、感じていることなどを手短かに語るのである。実におもしろい【オモシロクな…続きを読む
- fileNo.008私たちにできる、ただ一つのこと
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『努力は報われる?の心』 昨秋、9月末頃庭の一角の畑に、白菜と大根の種を播いた。この文を書いている今、収穫期を迎えている。くわで耕やし、多目の堆肥を入れ、畦を立て、30㎝間隔で種を播き土をかぶせた。種…続きを読む
- fileNo.007自分を大切にしていますか?
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『無財の七施(むざいのななせ)の心』 この言葉に初めて触れたのは四十年以上前のことです。その頃は戦後二十年を経過して障害者の福祉にも光があたってくる時代だったと思いますが、滋賀県に近江学園と言う知的障…続きを読む
- fileNo.006あなたの言葉は、なぜ相手の胸に響かないのか
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『まなざしの心』 言葉は難しい【楽しいとも言えるのですが】。私たちが日常使う言葉は二重構造になっているのだそうです。つまり、言葉そのものが伝える意味とそれとは違うレベルのもう一つ別の意味があるというの…続きを読む
- fileNo.005「素敵な人ね」と言われるよりすばらしいこと
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『青色青光(しょうしきしょうこう)の心』 「仏説阿弥陀経」という教典に青色青光、黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)という文言があります。前…続きを読む
- fileNo.004生きることは、辛いことばかりだと思うときに
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『四苦八苦(しくはっく)の心』 またまたお釈迦(しゃか)さまの話で恐縮です。お釈迦さまは「人生は苦なり」と覚られました。二千五百年前のことです。「苦」とは世間一般に言う「苦しい」という意味ではありませ…続きを読む
- fileNo.003世の中、不平等なことばかりだと思うときに
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『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)の心』 「天上天下唯我独尊」は、お釈迦さまがお生まれになってすぐ、七歩歩いて右手で天を、左手で地を指し叫ばれた言葉と言い伝えられています。余談ですが…続きを読む
- fileNo.002あなたが産まれてきた理由(わけ)
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『自燈明(じとうみょう)・法燈明(ほうとうみょう)の心』 お釈迦さまの臨終の絵図には多くさんの動物が集まり悲しむ様子が描かれています。お釈迦さまの側近中の側近である阿難(あなん)【尊者(そんじゃ)】も…続きを読む
- fileNo.001かっこ悪い話し方、してませんか?
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『如是我聞(にょぜがもん)の心』 仏教のいくつかの経典は、必ず「如是我聞」あるいは「我聞如是」から始まります。どちらもほぼ同じ意味で、平たく言えば「私はこのように聞いております。」ということです。経典…続きを読む